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北マリアナ諸島には、チャモロとカロリニアンの2つの先住民族がいます。北マリアナ諸島とは、グアムを除くすべてのマリアナ諸島をさし、サイパン、テニアン、ロタが主な島となります。 北マリアナ諸島に古代チャモロの人々が住み始めたのは、紀元前1500年頃。東南アジア方面から渡ってきたと推察されます。800年頃には、現在もさまざまなモチーフに使われる巨大な石柱「タガ・ストーン(ラッテ・ストーン)」が現れます。タガ・ストーンは、北マリアナ諸島に多く残されていますが、その最大規模のものは「タガ王朝」の中心地だったテニアン島にあるタガ遺跡。このタガ・ストーンは、かつて家の柱だったとされていますが、その謎は完全には解明されていません。 カロリニアンの祖先が北マリアナ諸島にやってきたのは、チャモロよりずっと後の18世紀頃。南方のカロリン諸島からカヌーを操って交易に来たのが始まりとされています。その後、カロリン諸島のラモトレックから多くの島民が移住。さらに他の島々からもサイパンに移り住んでいます。 北マリアナ諸島がヨーロッパの歴史に登場するのは、16世紀に入ってからのことです。 1521年、マゼランが来島したことからスペイン領になりました。その後、植民地獲得の動きが盛んになると、北マリアナ諸島を含むミクロネシアの島々は列強の争奪の的となります。第一次世界大戦時には、日本が統治受任国に就任。このころ、多くの日本人が移住し、サトウキビやヤシの栽培を行いました。砂糖王公園やシュガートレインなど、当時の遺構がサイパンに数多くみられます。 第二次世界大戦では激闘の舞台となりました。現在も各地に戦争の傷跡が残されています。 終戦後の1947年、元日本委任統治領がアメリカの信託統治領になり、この体制は1986年まで維持されました。アメリカと政治統合した国家(連邦)を建設するための制約には、マリアナ諸島と連邦政府の間の政治的枠組みが定義されています。現在、北マリマナ諸島連邦の住民は、アメリカ国籍を保有しています。また、アメリカから憲法による保護やその他の保護を受けています。 |
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